上海旅行記 x 上海游记  〜Thoughts on Shanghai〜

こんにちは

GWでしたね。早速日常に引き戻されて嫌気がさしています。

楽しい事の裏側には辛い事もある。喜びの裏側には悲しみがあるように。

どうにかならないものですかね。

好きな事して生きて行きたいものです。

 

このお休み、相方Bonchiの家族と上海で旅行してきました。

中国には北京と瀋陽には行った事がありましたが上海と言えば中国随一の経済都市。

高層ビルが乱立する東洋一の摩天楼をイメージしていましたが、正にその通り。

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すごいすごい。

 

あっちは前衛的な町並み。その反対側には租界エリアのクラシックな西欧風な町並み。

まず日本ではあり得ない景色でした。都市には歴史が刻まれている。

都市は生き物だと喩えられる事がありますが、本当にその通りですね。

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Ritz Carlton に泊まりました。

滅多に泊まれるものではありませんが、せっかくですし、日本に比べるとそこまで高くなかったので贅沢してみました。

ベッドやお風呂、アメニティをみていちいち興奮していました。

高級ホテルは日常になってしまってはなりません。いちいち興奮しないと意味がありませんよね。

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小籠包祭りを夢見て上海の地に足を踏み入れた訳ですが、

期待を裏切りませんでした。

まるでそれは風呂上がりの美女のような艶美な姿。一口その皮を破いてみるとそれは黄金色に輝くスープ。マルコポーロもこんな気持ちで黄金の国ジパングを見ていたのでしょうか。

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ここまではある意味想像していた旅行の楽しみ方でした。

一度は行ってみた方が良いとこだなと思いました。

みなさんも試しに行ってみてください。

行きは3時間くらいかかったともいましたが、帰りは2時間15分位でつきました。かなり近い印象でしたよ。

中国語できれば良いですけど、日本人も多いですし英語でもなんとかなるかと思います。

治安面でも特に心配いらないような様子だと思います。

 

不便なのはタクシーくらいですかね。法人タクシーでも日本で言う白タクみたいなもんで行き先によって乗車拒否はざらでしたし、メーター通り料金が定まっている感じはなかったですね。でもどうせ日本より安いので、多少ぼったくられるだけって思えればなんて事はないと思います。

 

とりあえず一旦記事をここら辺で締めようとおもいます。

上海楽しかったな。

 

耐久財としてのファッション

続けざまに。

鉄は熱いうちに打つべし!

 

ファッションとは

ラテン語のファクティオ factiō (行為,所作) に由来する英語。特定の時期に一般に受入れられ,普及した社会現象生活様式などのすべてを含む,流行,風潮,様式などの意味であるが,一般的には主として服飾の流行をさす。

とブリタニカ国際百科事典は言っているが、これは大体同意するところである。

 

正しいとか正しくないとかではなくて、流行と言うところが今回少し取り上げたいミソポイントだ。

 

流行とは

風習や慣習に対し,ある一定の期間,相当数の人々がある新しい行動様式を自由に選択し,採用し,廃棄することによって生じる広範囲な社会的同調行動の現象。これを社会的に存在せしめる正当性の根拠は「新しさ」という点にある。

とブリタニカ国際百科事典は言っているが、正当性の根拠は新しさにあるといっている。これも何となく同意するところだ。

 

つまり、流行が流行たらしめる為には、それまではそのような同調行為がなされていなかった時代が必要だ。

おそらく昔から米を食べていた文化の人たちにとっては、米を食べる事自体が流行と呼ばれる現象にはなり得ないが、急にパンという食文化が伝わり、それが人気を得て行くようになるとパンが流行っているという言い方はできるだろう。

 

流行>ファッションと言う観点から言えばファッションには”新しさ”があると言えるはずだ。

 

だがしかし、

それでも古くてもファッショナブルでありつづけるモノもあるように思う。

ファッションにおいても”定番”はある。コンバースのスニーカーだってブルックスブラザーズのオックスフォードシャツだっておそらくどの時代だって一定層の支持はえられるものだろう。

 

時計、ダイヤの指輪これも立派なファッションアイテムだと思うが、やはりどこまでいっても定番と言うものはある。むしろ基本的には定番が幅を利かせているジャンルだろう。

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特にメンズでは多いように思う。

靴などは定番が重要視されがちで、エドワードグリーンのチェルシードーバーは定番と見なされ、それ以外は亜流と見られるだろうし、オールデンと言えばコードバンが主流でカーフはどうしても亜流だろう。

 

つまりだ、何がいいたくなってきたかというと、

ファッションの中には、定番が幅を利かせているものがあって

定番が価値を持つと言う事は、流行の”新しさ”が価値を持つ観点から言えば矛盾を秘めているような気がするのだ。

この矛盾をほどくには、ファッションと流行の時間軸の差を認めなければならないだろう。流行は何処か終わりが見える程度の期間を前提としているように思うが、ファッションとは終わりが見えてないある程度の長い期間を前提としていると考えれば”定番”に価値を持たせた見方もできるだろう。

 

ファッションには新しいものに価値を生み出す一方で昔ながらの慣れ親しんだものに対しても価値を見いだす事はできる。

ファッションとは流行ほど簡単な言葉ではなさそうだ。

現在進行形のオープンエンド(終わりが定まっていない)の期間をも前提にしている所で将来に対して思いを馳せる事ができるのも奥ゆかしさがある。

 

日時計を祖父から引き継いだ。f:id:James_Bonchi:20170430185050j:plain

周りがこれをファッションと呼ぶかは別だとして、個人的には気に入っていて先代から引き継いだコンテクストも含めファッショナブルだと思っている。

代を跨いで利用価値があるとしたらそれは滅多にない耐久財だ。家だって20年かそこらで償却する。この時計もファッションの終わりがきたら財として成さなくなるかもしれない。それでも、もしかしたら私の後の代まで使えるかもしれないなどと言う事を妄想しているととってもロマンチックで奥ゆかしさを感じずにはいられない。

 

腕時計は携帯などの発達で利用価値が危ぶまれているなどという事が囁かれた時代もあったが、もうもはやそれも古い話である。ファッションと言う意味ではまだしばらく価値を持ち続けるだろう。いったいどこまで続くのか。

ロマンチックがとまらない。

 

 

 

 

 

 

 

JAMES BONCHI再始動

こんにちは。約1年ぶりの更新です。

一度書かなくなると全く書かないものですね。

最新作のジェームズボンドシリーズがでないともう無理かと思ってました。

 

更新し続けるにはなかなかの努力と忍耐が必要です。

 

今日は特に何か書きたいと思っている訳でもなかったのですが、

やっぱり春になってみると、

色々感じる機会とか感じるものがあって何となく筆を取ってみました。

 

春は出会いと別れのシーズン。今年のさくらは例年よりも遅く、お別れよりも出会いの時分でしたが、やはり春はそれでも誰かが自分のまわりからいなくなったり入ってきたいと移動はあるものです。それとともに多かれ少なかれ心は動くものだなぁと思っていたら新しい何かを始めないととおもい、そんなこんなでブログでもやるかと。

 

基本的にこの一年、ストレスを言い訳に食べ過ぎて太りました。

社会人三年目に突入しもう体型は崩壊。

相方のBONCHIにもデブ呼ばわりされる始末。

一方、私がぶくぶくいっているのを尻目に相方は気が狂ったようにトレーニングして

腹筋バキバキ。

人は変わるものですな。

結局人は努力できるか、できないか、そこで結果が大きく変わるようだということを

学びました。

 

太り始めるとファッションとか何をきてもかっこ良くないので本当につまらなくなりますね。

スーツもしばらく買う気失せてしまいました。

 

それでも今年こそはなんとかがんばってもう一度正しい生活にもどそうとおもっています。

少しはやせて、いまよりも少しはスーツをかっこ良く着れるようになって、もう少しイキイキと目を輝かせて生きて行きたいですね。

好きだったファッションへの熱を少しでも取り戻したいとおもっています。

 

もう半年以上も前になりますが、

引っ越ししまして玄関にも時々生花を飾るようになりました。

奥は深いのでしょうが、よくわからないなりにも

心を豊かにしてくれる気がします。

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これからも時々更新したいとおもっています。

やっぱり考える事はやめたら行けないっすね。

ただのデブに成り下がる分けには行きません。

がんばれJames Bonchiを合い言葉に。

 

 

ナオトインティライミ的世界観

こんにちはJames Bonchiです。

 

まえの記事をつらつら書いていたら、

まとまらなくなったので、

別記事に。

 

GWはあっというまに終わってしました。

もはやファッションではない、ただのブログだ!!

 

ファションに結びつけるのはあきらめて、

またしても京都に行った話です。

 

訳合って節約しなければと思っていたのですが、

せっかくの休日。それに友人も奈良に帰省した帰りに京都に寄るというではありませんか。

久々に学生時代の友人と3人で合えるという甘い誘惑にまんまと引っかかりいつもの京都の友人(キョウトモ)のところでお世話になりました。

 

結局3人で集まっても特別なことは何もしない。それが一番贅沢な時間です。

コメダコーヒー西大路八条店でぐだぐだ話していました。

tabelog.com

 

その日一人の友人は東京に帰ってしまい、

翌日はひょんなことからキョウトモと淡路島へドライブ〜

GWにGWらしいことをしたのは人生初体験かもしれません。

 

いっぱい人いました。いっぱい。

家族連れの姿を見ると自分の幼少時代を思い出し、将来の家族への夢が膨らみました。

友人や恋人同士で楽しいでいる方も多くいらっしゃいました。

 

みんなウキウキして見えるはなぜでしょう。

みんな誰しもが持っているナオトインティライミ的な部分が溢れ出ていました。

皆さんの格好が夏っぽくて、短パンとか淡いブルーのカッターシャツとか麦わら的な帽子とかそういうものがティライミ的世界観を彷彿とさせたのでしょうか。

音楽とサッカーで世界は繋がれる。人と人はポジティブな感情を持ってぶつかればきっと繋がれる。そんな気がしました笑

 

 

道の駅あわじでなまシラス丼を頂きました。

江ノ島も人気ですよね。高校は鎌倉でしたがあまり鎌倉・湘南のことしらないんですよね。

初めて頂きましたが、、、、

個人的にはあまり得意ではなかったです。

それでも生臭さとかはなかったので、きっとおいしいしらすだったのだと思います。

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ドライブ道中はもう楽しくて写真取らず。。。

 

ゴールは鳴門大橋の渦潮。

心の目では見れましたが、物理的には見えませんでした。

それでも潮は確かにここでぶつかっているのは見受けられました。

 

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みんなが期待して見に来ているところに自分も同じ気持ちでそこに立っていると楽しいことやっているなぁと実感しました。

楽しいことは大勢で感じた方がより楽しいようにできてるんでしょうね。人間は。

たとえ”他人と一緒”がいやなゆとり世代でも笑

 

帰りは多少渋滞していて少ししんどかったですが、それでもみんなが楽しいことに加わってみて楽しんでみることは大事なんだなと思いました。

当たり前なんですけど、ここ結構さぼっちゃいますよね。

「空いてる時に行った方がお得だ」という考えは浅はかなのかもしれません。

 

そんなことを考えました。

 

そしてポジティブな感情が集まったときの人々のパワーって本当にすごいなと感じました。

あんなに混雑して体力使うようなことは、その感情がなくして絶対無理でしょう。

もしその感情を大勢の人に抱かすことができたなら世界は変えられるような気がします。きっとこの辺が鍵となる。

みんな気づいているんですけどね。これができれば革命を起こせるのだと。

 

ナオトインティライミ的世界は事の本質を突いていると思っています。

そんな単純じゃないのは知っています。でも複雑なのはそこに至るまでの過程で、

根本的な力学方程式は非常にシンプルだと想像しています。

 

音楽とサッカーで世界は繋がれる。

人と人はポジティブな感情を持ってぶつかればきっと繋がれる。

 

大人になっても忘れずにいたいですね。

 

それではまた来週。

 

 

ちっぽけな自分と情報化社会との交差点はどこ?

こんにちは、最近怠惰なJames Bonchiです。

「ゆとりですがなにか」というドラマをやっているようですね。

きっと自分達世代には共感できる内容なのだと思うのですが、なんだかんだ見てません。

ゆとりな自分的には、ゆとりだからと言ってゆとり同士群れるのが好きではありません。

結局社交性のないヤツなだけかもしれませんね汗

 

最近更新を怠っていましたが、年頃の私(私たち)にはそれなりに理由もあるのです。

相方とのイベントが色々とありまして、なかなか筆が進まず。

(誰も見てないとはいえ)一応インターネットを通じてPublicな情報になってしまうので、Privateなことは書き難く、躊躇しておりました。

こうやって情報を選んで行くとFacebookみたいにキラキラ情報の出し合いっこ合戦になってしまうのですね。

そんなFacebookはやはり社会にとって健康でないというのも賛同しますが、結局人間、実社会でもそんなもんですよね。

自分の本当の恥ずかしい話もいいたくないし、かといって自慢話もしたくない。

その中間の”ちょうどいい失敗談”の当たり障りのない話をする。

まぁ、自慢話させてくれる場所ができたのはありがたいことですよね。

誰だってできることなら自分のかっこいいところを認めて欲しいと思うものですよ。

 

インターネットとのつきあい方は、自分を含め、世の中的にもまだ探っている途中なのかもしれません。インターネットは私たちの生活の余りにも根本的な所に深い影響を及ぼした分、その在り方に関する議論は長い時間を必要とするのでしょう。

 

実はそうした興味がこのブログを始めたきっかけであります。

 

こうした言い方は大変失礼なのですが、、、ブログが流行っていたのは自分たちの世代ではなく、もう少し上の世代だと思います。

自分はこうしたIT技術の進歩とともに最先端のユーザーとして付き合ってきたわけではありませんが、おそらく僕らの世代は既にネット社会と向き合う窓口としてはTwitterFacebookでした。

それらは僕らが大学に進学したときちょうど流行りだしたもので、Mixiは高校時代の流行っていたものの、大学では既に絶盛期は過ぎていました。

 

それでもあえてブログをやってみたいと思いました。

 

枠組みのないところでも一個人が発信できる。

それはマスメディアのTop down的な構造から、ネットワーク型の構造に社会が変革するということ。

それでも依然として、情報の海のなかで小さな一個人がまじめに社会に訴えて行くのは簡単ではないと思います。

その簡単ではないことがどれほど簡単ではないのか自分の肌で感じてみたくなりました。それがこのブログを始めたきっかけです。

 

とはいえ、実験などとクールなことを言っているものの、

それは単なる予防線で、アクセス解析を見ては1アクセス増えただけでこっそり喜んでいます笑

 

たとえ自分を言葉が届いてなくとも、なんとなく誰かと繋がった気がするだけで

それだけで喜びになる。それはインターネットがもつ素晴らしさだと思います。

あるひとはこのコミュニケーションはvirtualと言って是としないかもしれませんが、この喜びはrealなのだからそれで良いじゃないかと思っています。

 

なんだか難しくなっちゃったのでこの辺で。

 

ちょっとはぐらかしました。ちゃんと向き合わなくては。

 

 

 

継続は力なり〜なかなかできないなり〜

こんにちはJames Bonchiです。

継続は力なり。

力不足ということです。

 

ダメだ。

また今週もかけなかった。

 

今週は部屋探し二回目で不動産屋さんにいってきました。

 

本当に良い不動産屋さんの方にお会いできてうれしいかぎりなのですが、

現実はなかなかシビアですね。

理想と現実を摺り合わせるのは簡単ではないと思わされます。

 

家も暮らしの結構大きな部分を占めるものですよね。

やはり港区のタワーマンションとかブランドの分譲物件とか、

そういうステータスと結びつくような物には

ファッション的な価値観が存在しています。

住まい方には服装と同じくらい深い世界が広がっているのだなぁと感じました。

 

これを決めることは服を買うこと以上に色々大変なんでしょうけど、

それでもやっぱり好きなんですよね。

そう思います。

 

GWにはちゃんと時間とって書こうと思います。

がんばるぞ〜

継続は力なり〜なかなかできないなり〜

こんにちはJames Bonchiです。

継続は力なり。

力不足ということです。

 

ダメだ。

また今週もかけなかった。

 

今週は部屋探し二回目で不動産屋さんにいってきました。

 

本当に良い不動産屋さんの方にお会いできてうれしいかぎりなのですが、

現実はなかなかシビアですね。

理想と現実を摺り合わせるのは簡単ではないと思わされます。

 

家も暮らしの結構大きな部分を占めるものですよね。

やはり港区のタワーマンションとかブランドの分譲物件とか、

そういうステータスと結びつくような物には

ファッション的な価値観が存在しています。

住まい方には服装と同じくらい深い世界が広がっているのだなぁと感じました。

 

これを決めることは服を買うこと以上に色々大変なんでしょうけど、

それでもやっぱり好きなんですよね。

そう思います。

 

GWにはちゃんと時間とって書こうと思います。

がんばるぞ〜