春の光か、春の匂いか

こんにちは。

三連休でした。春を見つけに行きたくて、京都にいってきました。

今年一年間いろいろと悩んだり苦労したり、辛い瞬間も多々ありましたが、それでも一年過ぎたんだと思うと、なんだか春は楽しまなければという気分でした。

 

それでも桜はまだでしたね。本当に桜の旬を捉えるのは難しいですね。ちょっと残念。でも少しはみつけられましたよ。

 

平野神社で取った写真です。今度からはちゃんと写真こだわろうと思います。開花している木もありました。

 

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これも平野神社で見つけた橘。柑橘類って、言われてみれば橘なんですよね。こんな実がなるなんて知りませんでした。

何事も体験は重要ですね。

 

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土曜日(2016/3/19)は曇りでしたがあったかく、もう冬も終わったのだなと実感させられる天気でした。もう匂いが春でした。

 

個人的には、大学生の時の価値観がそのまま残ってるからでしょうか?(当時は手ぶらあるいは荷物少ないのがかっこいいと言う価値観があったような気がします)

いまだに、小旅行で大きな荷物を持って行くのがいやで、ついファッションよりも、実用性を選んでしまうんですね。

 

今回、日曜月曜日は気温が下がると聞いていたので、冬物のロングコートを着ていきました。ほんとはjacketとかきたいんですけどね、かさばりますよね。

 

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そんな曇りの土曜日でしたが、気温は15度くらいだったでしょうか。

 

この服をきているとなんだか違和感なんですよね。

季節が違う。

なんか違う。

この服じゃない。

なんかお洒落じゃない。

 

実際これは厚すぎるってほどじゃなかったのですが。しかも、周りの人もダウンとかきている人も多くて、むしろスプリングコートをきているようなお洒落さんはそんなに多くなかった印象がありました。

 

なんでそう感じたのでしょう?

きっと春の匂いだと思いました。嗅覚から感じる春の空気と自分の視覚や肌から感じる服装がマッチしないんじゃないかと。

 

全然意識してないんですけどね。きっとこの感じは、写真では違和感まで映し出せないのかなと思います。それでもそのときの時間と空間を共有してた人には何となく共通感覚があって、このコートに違和感を感じることはできたかもしれません。

 

連休最終日の月曜日はきれいな青空。それでも気温は低かったような印象がありました。風が冷たい。

 

この時期はまだ三寒四温なのでしょうか。

コートは必須な天候。スプリングコートじゃ寒かったんではないかな。

 

それでもなんか違う!

 

今着ているウールのコートはなんかお洒落じゃない。

 

このときは春の光とその下でみるウールコートがなぜか合わないのかなと思いました。

視覚からその違和感を感じたのでしょうか。ウールコートを強い春の光の下で見ることってないですもんね。

 

 

きっと、もっと視覚とか嗅覚とか触覚とかから、その自然の状況に相応しさを感じ取っているんではないかと思います。

その相応しさはこの場合、感覚(主観的なもの)から成り立っているような気がしますが、この感覚は大勢の人間が共有できる客観的な価値観ではないでしょうか。

 

寒い暑いは大体共有できるし、色や匂いもある程度共有できる物だとすれば、やっぱりお洒落(ファッション)には共有感覚が存在しうるものなんだろうなとそう思いました。

 

 

「お洒落にはルールや定義はない」という「ファッションはもっと個性的で主観的」だそういう考えも正しいとは思います。

それでもファッションと言うのはただの流行とか文化だけで決まるものではないのかな、そう思わされた旅行でした。