友人×ファッション 〜類は共を呼ぶ?〜
こんにちはJames Bonchi です。
ブログ書くことが楽しみになってきました。まだ四回目ですけどね笑
今週は靖国神社の開花宣言もあって、本格的な桜が見られるかと思ってましたが、まだでした。
桜が長く楽しめる年かもしれません。来週晴れるといいなぁ。
すっかり暖かかったのでコートは脱いでジャケットで過ごしていました。
いい天気だったのですが、何となく目がかゆいんですよ。
やっぱり花粉症なんでしょうかね。
さて、今日のテーマは友人です。
僕は友達は少ないほうだと思いますが、本当に仲のいい友人がいまして、友人といると言えば、およそその90%は彼らと過ごしています。
今日も友人二人とそのそれぞれの彼女と僕の5人で食事に行ってきました。
プランタン銀座の横のぴょんぴょん舎という冷麺屋さん?
ぴょんぴょん舎 GINZA UNA (ピョンピョンシャ) - 銀座/焼肉 [食べログ]
おしゃれなところで居心地もよかったです。パーティションがしっかりあったので気兼ねなくお話できました。
その後はお決まりのコーヒー。
ここも休日でも静かでよかったです。
なんというか「落ち着き」が得られる気がします。
5人のうち一人がまとめてみんなのケーキをオーダーしたのですが、先に出てきたケーキとコーヒカップ&ソーサの柄が一致してる。もちろん各人別の柄です。
お店の方は誰がどのケーキを頼んだのか分からなかったはずですが、それぞれのケーキが誰の前に置かれているのかを確認して、それぞれに合うカップ&ソーサで各人オーダーした飲み物を入れてくださった。(説明へたくそですね、さーせん。もうよしとします汗 ゆとり世代ですが何か問題でも?)
これってまさにこだわり。気づけて良かった。くぅ〜かっこいい!!
それとは別に人ごみの新宿で疲れて休んだところ。カフェってほんとやめられない。
ホテルってやっぱり心地良かったです。非日常を提供するこだわりが感じられました。
20Fで眺めもいいし、なによりホテルのロビーってなんか物語がありそうで、いるだけでいい感じ。
もちろんカフェよりは高いのですが、そこまで無理して行くって値段でもないので、個人的には割安な感じがしました。でもやっぱり背伸びして行くから良いのでしょうね。その気持ちは忘れたくない。
友人のみならず、その彼女ともこうして仲良くしてくれることは本当に嬉しいです。誰かと繋がっていると言う安心感は生きてく力だなぁと思ったりします。正確な表現か分からないですが、だいたいそんな感じです笑
今となっては彼らと遊ぶと言ってもご飯食べるとかコーヒー行くとかで、何気ない時間をただ一緒に過ごしているだけなんですけどね。
ほんとに下らない話をしながら。誰かがちょっとしたことを話すと、突っ込んだりぼけてみたり、揚げ足取ったりして体力の続く限りいちいち(僕らなりに)おもしろおかしく会話しているとそれで大体時間は終わっちゃいます。
でもそれが本当に楽しいんですよ。大学卒業して合う頻度が減ってからは特に。
さすがに完全に内輪ネタで盛り上がっているだけだとよく自覚しております。多分周りの人が聞いていてもつまらないし、その輪に他の人が加わってもきっと全く楽しくないと思います。
その”内輪”ってなんなのでしょうか?
趣味が合う。
それが今のところ一番しっくりくる答えです。
今となっては何も思いませんが、振り返ってみると結構趣味とか好きな物は違うような気がするんです。
ある人はみんな知らないデザイナーズの物が好きだったり、ある人はDeiselにこだわっていたり、いい物も好きだけどユニクロとかで地に脚がついている安心感を求めたい人だったり。
友人のことはどうせ近いうちに書くことになるのでここではあまり触れません。なんだかんだで、こういうところに登場するのが好きなヤツらなので小出しにしてやります。
まぁ誰も読んでないんですけどね笑
ちなみに僕は人からどう思われているのか分かりませんが、あんまり気取ったかっこいい物よりは実は高くて品質にこだわったみたいなのが好きでした。
体もだらしなく太ってますし、そもそもかっこいいとは思えないので、なるべく無理してるって言われない程度に最大限おしゃれと思うことをするを目指していたように思います。
余談はさておき、
昔は彼らと食事一つで何食べようとか、どこいこうとかでなかなか決まらなこともありました。それでも不思議なことに段々と経験を重ねていくと、始めから大体落としどころが想像ついていて丸く収まる。
これってたぶん趣味があってくるんですよね。良かったお店の雰囲気とかおいしかったとか。もしくは、この場面では味よりも人気の少ない静かな場所であることが重要だとか、そういう重視する項目が。味覚が近づいたとかじゃなくて、もっとざっくりとした”良い”を感じる感覚が、経験を共有することで近づくと言ったところではないでしょうか。
それでもファッションは不思議と似てこない。
まぁ僕らの彼女とかからは「みんな似た格好してるねー」とか「おそろいじゃん」とか言われるのですが。これは男女間とかで見え方違いそうですよね。
個人的な見解としては全く似てこない。感覚的にそう思います。
そのうち一人は僕がつかっているクラッチバックは決して使わないだろうと思うし、僕はけっして友人の使っているアウターは着ないだろうと思います。
なんででしょうか?
やっぱり、これって”良い”を感じる経験を共有することがファッションでは乏しいからではないからではないかと考えました。
パーティーの服装とかスーツとか方向性がある程度絞られる場面だと、人が着ている服を見たりしてTPOに合わせた”相応しい”を感じて真似したりするのかもしれませんが、普段の格好では他の人が着ている服をみてより”良い”を感じる機会に乏しい気がします。
土日に銀座で冷麺食べるなら、革靴よりもスニーカーの方が”良い”とか、リュックよりはクラッチバックの方が”良い”とかないですもんね。あったとしても、正直どうでも良い笑
すくなくとも僕が誰かに、「土日に銀座で冷麺食べるこういう格好した方が”良い”よ」といわれたならこういいます。
「しらねーよw」
きっと普通のファッションってこんなもんなんじゃないでしょうか?
こういう身近な人同士で価値観が収束して行きにくいものだから「みんな違ってみんな良い」のかもしれません。
そんなことを考えさせてくれる一日でした。
つづきはまた来週。がんばろーかな。