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ちっぽけな自分と情報化社会との交差点はどこ?

こんにちは、最近怠惰なJames Bonchiです。

「ゆとりですがなにか」というドラマをやっているようですね。

きっと自分達世代には共感できる内容なのだと思うのですが、なんだかんだ見てません。

ゆとりな自分的には、ゆとりだからと言ってゆとり同士群れるのが好きではありません。

結局社交性のないヤツなだけかもしれませんね汗

 

最近更新を怠っていましたが、年頃の私(私たち)にはそれなりに理由もあるのです。

相方とのイベントが色々とありまして、なかなか筆が進まず。

(誰も見てないとはいえ)一応インターネットを通じてPublicな情報になってしまうので、Privateなことは書き難く、躊躇しておりました。

こうやって情報を選んで行くとFacebookみたいにキラキラ情報の出し合いっこ合戦になってしまうのですね。

そんなFacebookはやはり社会にとって健康でないというのも賛同しますが、結局人間、実社会でもそんなもんですよね。

自分の本当の恥ずかしい話もいいたくないし、かといって自慢話もしたくない。

その中間の”ちょうどいい失敗談”の当たり障りのない話をする。

まぁ、自慢話させてくれる場所ができたのはありがたいことですよね。

誰だってできることなら自分のかっこいいところを認めて欲しいと思うものですよ。

 

インターネットとのつきあい方は、自分を含め、世の中的にもまだ探っている途中なのかもしれません。インターネットは私たちの生活の余りにも根本的な所に深い影響を及ぼした分、その在り方に関する議論は長い時間を必要とするのでしょう。

 

実はそうした興味がこのブログを始めたきっかけであります。

 

こうした言い方は大変失礼なのですが、、、ブログが流行っていたのは自分たちの世代ではなく、もう少し上の世代だと思います。

自分はこうしたIT技術の進歩とともに最先端のユーザーとして付き合ってきたわけではありませんが、おそらく僕らの世代は既にネット社会と向き合う窓口としてはTwitterFacebookでした。

それらは僕らが大学に進学したときちょうど流行りだしたもので、Mixiは高校時代の流行っていたものの、大学では既に絶盛期は過ぎていました。

 

それでもあえてブログをやってみたいと思いました。

 

枠組みのないところでも一個人が発信できる。

それはマスメディアのTop down的な構造から、ネットワーク型の構造に社会が変革するということ。

それでも依然として、情報の海のなかで小さな一個人がまじめに社会に訴えて行くのは簡単ではないと思います。

その簡単ではないことがどれほど簡単ではないのか自分の肌で感じてみたくなりました。それがこのブログを始めたきっかけです。

 

とはいえ、実験などとクールなことを言っているものの、

それは単なる予防線で、アクセス解析を見ては1アクセス増えただけでこっそり喜んでいます笑

 

たとえ自分を言葉が届いてなくとも、なんとなく誰かと繋がった気がするだけで

それだけで喜びになる。それはインターネットがもつ素晴らしさだと思います。

あるひとはこのコミュニケーションはvirtualと言って是としないかもしれませんが、この喜びはrealなのだからそれで良いじゃないかと思っています。

 

なんだか難しくなっちゃったのでこの辺で。

 

ちょっとはぐらかしました。ちゃんと向き合わなくては。