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耐久財としてのファッション

続けざまに。

鉄は熱いうちに打つべし!

 

ファッションとは

ラテン語のファクティオ factiō (行為,所作) に由来する英語。特定の時期に一般に受入れられ,普及した社会現象生活様式などのすべてを含む,流行,風潮,様式などの意味であるが,一般的には主として服飾の流行をさす。

とブリタニカ国際百科事典は言っているが、これは大体同意するところである。

 

正しいとか正しくないとかではなくて、流行と言うところが今回少し取り上げたいミソポイントだ。

 

流行とは

風習や慣習に対し,ある一定の期間,相当数の人々がある新しい行動様式を自由に選択し,採用し,廃棄することによって生じる広範囲な社会的同調行動の現象。これを社会的に存在せしめる正当性の根拠は「新しさ」という点にある。

とブリタニカ国際百科事典は言っているが、正当性の根拠は新しさにあるといっている。これも何となく同意するところだ。

 

つまり、流行が流行たらしめる為には、それまではそのような同調行為がなされていなかった時代が必要だ。

おそらく昔から米を食べていた文化の人たちにとっては、米を食べる事自体が流行と呼ばれる現象にはなり得ないが、急にパンという食文化が伝わり、それが人気を得て行くようになるとパンが流行っているという言い方はできるだろう。

 

流行>ファッションと言う観点から言えばファッションには”新しさ”があると言えるはずだ。

 

だがしかし、

それでも古くてもファッショナブルでありつづけるモノもあるように思う。

ファッションにおいても”定番”はある。コンバースのスニーカーだってブルックスブラザーズのオックスフォードシャツだっておそらくどの時代だって一定層の支持はえられるものだろう。

 

時計、ダイヤの指輪これも立派なファッションアイテムだと思うが、やはりどこまでいっても定番と言うものはある。むしろ基本的には定番が幅を利かせているジャンルだろう。

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特にメンズでは多いように思う。

靴などは定番が重要視されがちで、エドワードグリーンのチェルシードーバーは定番と見なされ、それ以外は亜流と見られるだろうし、オールデンと言えばコードバンが主流でカーフはどうしても亜流だろう。

 

つまりだ、何がいいたくなってきたかというと、

ファッションの中には、定番が幅を利かせているものがあって

定番が価値を持つと言う事は、流行の”新しさ”が価値を持つ観点から言えば矛盾を秘めているような気がするのだ。

この矛盾をほどくには、ファッションと流行の時間軸の差を認めなければならないだろう。流行は何処か終わりが見える程度の期間を前提としているように思うが、ファッションとは終わりが見えてないある程度の長い期間を前提としていると考えれば”定番”に価値を持たせた見方もできるだろう。

 

ファッションには新しいものに価値を生み出す一方で昔ながらの慣れ親しんだものに対しても価値を見いだす事はできる。

ファッションとは流行ほど簡単な言葉ではなさそうだ。

現在進行形のオープンエンド(終わりが定まっていない)の期間をも前提にしている所で将来に対して思いを馳せる事ができるのも奥ゆかしさがある。

 

日時計を祖父から引き継いだ。f:id:James_Bonchi:20170430185050j:plain

周りがこれをファッションと呼ぶかは別だとして、個人的には気に入っていて先代から引き継いだコンテクストも含めファッショナブルだと思っている。

代を跨いで利用価値があるとしたらそれは滅多にない耐久財だ。家だって20年かそこらで償却する。この時計もファッションの終わりがきたら財として成さなくなるかもしれない。それでも、もしかしたら私の後の代まで使えるかもしれないなどと言う事を妄想しているととってもロマンチックで奥ゆかしさを感じずにはいられない。

 

腕時計は携帯などの発達で利用価値が危ぶまれているなどという事が囁かれた時代もあったが、もうもはやそれも古い話である。ファッションと言う意味ではまだしばらく価値を持ち続けるだろう。いったいどこまで続くのか。

ロマンチックがとまらない。